光満ちる場所で
いつか娘に伝えたい。

永尾奈津紀
美容師/

永尾奈津紀さん

光満ちる場所で
いつか娘に伝えたい。

奈津紀さんは、現在31歳。2歳になる愛娘を夫と育てながら、大好きな美容師の仕事をしている。人を惹きつける笑顔で話す彼女には、一年で一度しか行かないと決めている場所があった。
それは、東遊園地。神戸ルミナリエのメイン会場だが、実は、阪神・淡路大震災の犠牲者を悼み、毎年1月17日に「1.17のつどい」が行われる場所でもある。
震災当時6歳だった奈津紀さんは、神戸市東灘区の全壊した自宅で、母を亡くした。以来、「1.17のつどい」に出席して、震災が起きたのと同じ5時46分に黙祷を捧げる。あの日と同じように冷えた冬の暗闇は、幼かった記憶を呼び覚ます。だから、冬の夜に東遊園地で開催される神戸ルミナリエには、足が向かなかった。
「でも昨年初めて『行きたい』と思ったんです。それは、自分の家族ができたから」。
娘が生まれたのは、奇しくも1月17日。
神戸にいる限り、誕生日には必ず「震災と同じ日やね」と言われ、震災関連のニュースや映像が流れるだろう。「大変だったね」と、自分が言われてきたことを、背負わせたくない。娘の誕生日を、明るい色に塗り替えたかった。 そこで、震災の記憶と結びついている東遊園地に、たくさんの人がいて、明るく笑っている神戸ルミナリエの時期に、まずは家族で足を運んでみようと思った。
夫の肩車に揺られて、寝てしまっていた娘は、東遊園地のまばゆい光に包まれると、驚いたように目を覚ました。キラキラしたアーチに目が輝き、笑顔がこぼれる。その横顔を見て、ふとこんな思いが芽生えたのだという。
「娘にいつか震災のことを話したい。暗く、悲しい思い出としてではなく、その日があったからこそ、出会えた人がいて、考え方が変わり、今の自分があることを」。

夢に導かれて、
ここまで来た。

心の中が温かくなる、母との思い出がある。それは、一緒にお風呂に入った後、お互いの髪を乾かしあう時間。「直毛の私と違って、くせ毛で猫っ毛の母の髪が不思議で、真っ直ぐにしようと一生懸命髪を梳いてました。母のやわらかい微笑みが、今も浮かびます」。
その思い出を原点に、奈津紀さんは、小学生の頃から将来の夢を美容師に決め、難関の美容専門学校へ進学。国家資格を取得後は、自宅近くの美容室で働きながら、アイリストとしても独立し、26歳の時に念願だった自分の店「eyelash salon Nazalea」をオープンした。
「美容師は、成人式、七五三、結婚式といった人生の節目や、毎日のスタイリングといった日常に関われる仕事。お客さんの反応が素直に感じられるのも嬉しく、一生の仕事と決めている」と笑顔で語る。
4年前に結婚した夫は、山口県出身。震災のことは教科書で知っている程度だ。夫に初めて震災で母を亡くしたことを話したのは、震災20年の「1.17のつどい」で、遺族代表として追悼文朗読の依頼を受けた時だった。当時の状況もリアルに描写した、重い話だったが、原稿を読み終えた夫は、「ありがとう」の一言だけ。その一言に、どれだけ救われたか。震災の話をして泣かれると、申し訳ない気持ちになるし、自分は絶対に泣けなくなる。「夫は、絶対に泣かない人。だから、私が泣ける唯一の人。この人に出会えてよかったと心から思いました」

“神戸だからできる”
表現の場に

震災に対する考え方も、大人になったり、親になったりして、ずいぶん変化してきた。「今まで、震災体験を語り継ぐようなお誘いをいただいても、正直、自分の不幸を人に話して何になる?と考えていました。同情を引くのも嫌だったし、分かってもらいたいとも思わなかったんです」。
そんな気持ちが、母になって変わった。震災を知らない我が子を前にして、「知らないから、知ってほしい」というシンプルな思いが湧いてきた。
震災はもちろん嫌だった。今もいい思い出ではない。でも、それだけではないことにも気がついた。震災遺児の友人たちと、「地震がなかったら良かった?」と何度となく話した。小学生の頃は、全員声を揃えて「なかったら良かった」と言っていた。でも、色んな経験をして大人になった今は「震災のおかげで、視野が広がった」と話している。語り継ぐのであれば、こういった思いを次世代に伝えたい。
あの日、あの時、神戸で感じたことを、
その後の歳月で、神戸が学んだことを。
子どもたちに伝えるため、神戸以外の世界の人に伝えるため、「神戸ルミナリエ」が、その表現の場であってほしいと願っている。

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